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私的なメモです

革命歌「同志よ固く結べ」の原曲と思われる歌曲の発見 : 飯淵作ではなく訳詞と言うべきである可能性について

 

「同志よ固く結べ(青年同盟の歌)」に関して、この曲の原曲と思われる楽曲の存在を確認しました。そして、原曲と「同志よ固く結べ」を比較したところ、従来の「歌詞は飯淵完全創作説」は誤りである可能性を見出しました。


【紲星あかり】革命歌「同志よ固く結べ」の不思議【革命家列伝番外編】

 

 

「同志よ固く結べ」の概要

来歴


[ENG SUB]同志よ固く結べ - Comrades, come together firmly! (Japanese Communist Song/Jewish Communist Song?)

「同志よ固く結べ」あるいは「青年同盟の歌」と呼ばれる革命歌は、戦前から日本共産党系の青年運動の中で歌われてきた曲であり、共青・民青を代表する楽曲のひとつです。

この曲が世に出たのは、1923年から1926年までの間のいずれかです。絲屋寿雄は、1923年に日本共産党第二回大会(市川大会)の決定を受けて日本共産青年同盟(共青)が結成された前後・ちょうど関東大震災のころから、青年運動の中で歌われ始められたとしています。しかし、1926年に東京無産青年同盟の活動家たちが歌い始めたという説の方が、今では最も広く信じられており関係者の証言からある程度裏付けられています。

この曲を作ったのは飯淵敬太郎です。飯淵は旧制二高から東京帝大に進学した人物で、二高社研時代から新人会に出入りし、日本無産青年同盟の創設にも携わりました。飯淵は大村英之助が持っていた「Kampflied」というドイツ語の闘争歌集に掲載されていた"Kamplied des Jadichen Proletaliats"(「ユダヤプロレタリアートの闘争歌」)を好んで愛唱していました。原稿を作ったりガリを切るときにもこの曲を口ずさんでいたため、無産青年同盟の指導者であった片山峰登、雨森卓三郎、五十嵐元三郎らも次第にこの曲になじんでいきます。そのころ、青年同盟の歌を作ろうという話になった際、飯淵の「ユダヤプロレタリアートの闘争歌」がよかろうということになったのです。

 

同志よ固く結べ 生死を共にせん

いかなる迫害にも あくまで屈せず

われらは若き兵士 プロレタリアの

 

固き敵の守りよ 身もて打ち砕け

血潮に赤く輝く 旗をわが前に

われらは若き兵士 プロレタリアの

 

朝焼けの空仰げ 勝利近づけり

搾取なき自由の国 戦いとらん

われらは若き兵士 プロレタリアの

 

暴虐の敵すべて 地にひれ伏すまで

深紅の旗を前に 戦い進まん

われらは若き兵士 プロレタリアの

この曲は何度かに渡って当局から発禁処分を受けました。警保局図書課が発行した『左翼右翼宣傳歌調』によると、1926年6月13に付に「前日本無産青年同盟の歌」として最初の禁止処分がなされています(この時の禁止歌詞は現在正しい歌詞とされているものとは異なる 後述)。1930年に同内容で再度禁止、1936年にタイトルを「同志よ固く結べ」として禁止された。

戦後の1946年2月3日に共青は日本青年共産同盟(青共)として再建され、最終的に六全協後の1956年11月に現在の日本民主青年同盟にりましたが、この青共→民青でも「同志よ固く結べ」は歌い継がれました。

歌詞について

この「同志よ固く結べ」の歌詞については、いくつかの異なるテキストが存在します。上掲の歌詞の順番が異なるものと、もう一ヴァースの歌詞があるものとがあるのです。

 

うち進む赤旗を 血潮もて燃やせ

爆破せよ心臓を 暴虐の敵を

われらは若き兵士 プロレタリアの

 

この歌詞は、『宣伝歌調』に記録されています。音楽センターが1972年に発売した「日本労働歌革命歌選集戦前編」の解説冊子では、上掲歌詞の「固き敵の~」と「朝焼けの空~」の間にこの「うち進む~」が挿入されています(この1972年のLP盤の音源は未確認であるものの、のちに発売されたカセットテープ版ではこの「うち進む~」は歌われていません。)。1962年の音楽センター発行のメーデー歌集、絲屋寿雄『労働歌・革命歌物語』(1970年)や山口左派系の劇団はぐるま座編『革命歌集』(1972年)を確認したところ、いずれも「同志よ~」「固き敵の~」「朝焼けの~」の三ヴァースのみが記載されています。五十嵐元三郎が戦後に聞き取り調査に答えた際には、上掲歌詞の「朝焼けの~」が抜けて「うち進む~」が入る全四ヴァースで歌っているようです。

しかし、1967年に民青が『物語青年運動史 戦前編』を編纂した際に寺島泰治が寄せた文章には、(執筆当時に)歌われている歌詞は本来の歌詞とは順序や語句が異なるとして、上掲の4連からなる「正しい」歌詞を掲載しています。これを受けて、1985年の西尾次郎平・矢沢保編『日本の革命歌』ではこの4ヴァースからなる歌詞を採用し、これが現在最も普及している歌詞となっています

原曲についての過去の言及

先述の通り、この曲の原曲については、大村が持っていた歌集「Kampflied」に掲載されていた"Kamplied des Jadichen Proletaliats"という曲であるということは、各種証言に共通しています。この曲について矢沢保が調査したところ、「赤旗の歌」が日本に入ってくるきっかけになった、野坂参三赤松克麿旧蔵の歌集""MARCH of the WORKERS and other songs"にも同じ旋律の曲が掲載されていることが明らかになっています。なお、各種歌集では、曲の出典については「ユダヤ闘争歌」「ユダヤプロレタリアート闘争歌」と、特定の曲というよりはちょうど「黒人霊歌」みたいな書き方がされることが多いようです。

歌詞については、通説では飯淵が新たに作詞したものとされています。1920年代当時、革命歌は専らドイツ語のものが取り入れられましたが、その過程では必ずしも訳詞が用いられたわけではありませんでした。「開けゆく歴史(若き親衛隊)」「憎しみのるつぼ」「俺は鍛冶屋」のように、原曲から大きく乖離した完全に創作の歌詞がつけられたり、「インターナショナル」のようにどう訳しても日本語だとうまく歌えなくてやむを得ず改変されることは決して珍しくなかったのです。「同志よ固く結べ」も、そのように飯淵の手によって作られたものと考えられてきました(飯淵は1946年に病死しており、この曲の戦後の労働歌に関する記録は専ら周囲の活動家への聞き取り記録に拠っています)。

こうして、日本でこの曲がどのように歌われてきたのかは解明されてきましたが、原曲"Kamplied des Jadichen Proletaliats"についてはほとんど情報がもたらされてきませんでした。1960年代の時点で、「インプレコールにも載っていたらしい」ぐらいのことしかわかっていなかったようです。矢沢はこのように述べています。

今ひとつ、肝心のこの原曲自体について、それがどのような成り立ちであるのかが以前、謎に包まれたままなのです。 「自由と解放のうたごえ」 前掲『日本の革命歌』所収

 

今回発見した原曲

今回、原曲とされる"Kamplied des Jadichen Proletaliats"について調査したところ、次のようなことが明らかになりました。
(ドイツ語は読めませんのでgoogle翻訳を使って意味を推測しています。誤りがありましたらご指摘ください。)

"Bruder wir stehen geschlossen"

1920年代から30年代のドイツの社会主義歌集に、たしかに"Kamplied des Jadichen Proletaliats"と酷似したタイトルの曲を発見しました。正式な綴りは"Kampflied des judischen Proletariats"であり、「ユダヤプロレタリアート闘争歌」で間違いありません。しかしこれは副題であり、正題は"Bruder wir stehen geschlossen"です。邦訳するならば「同胞よ、われらは結集している」といったところでしょうか。

Bruder wir stehen geschlossen (Kampflied des judischen Proletariats)

Bruder, wir stehen geschlossen,
auf Leben und Tod wie ein Mann:
Wir stehen im Kampf als Genossen,
die Fahne, die rote, voran!

Trifft dich ein Schus mein Getreuer,
ein Schus von dem Feinde, dem Hund,
Ich trag dich heraus aus dem Feuer
und heil dir mit Kussen die Wund’.

Bist du gefallen, ein Toter,
die Augen, die lieben, in Nacht,
bedeckt dich die Fahne, die rote,
ich folg dir in blutiger Schlacht

 

第一ヴァースでは生と死を賭して結集し闘いのさなかにある同志らが「赤旗を先に立て進め!」と叫ぶ様子が描かれています。第二ヴァースは敵の凶弾に倒れる同志について描かれ、第三ヴァースでは赤旗が死せる同志の屍を覆い、残されたなおも屍を越えて進みゆく様子が描かれています。

この曲は、"Kampfgesang"(1921年)、"Rot Front. Neues Kampf-Liederbuch"(1925年)、" Mit Lenin. 50 Kampflieder"(1928・29年ごろ)、"Lieder der Internationalen Brigaden (1938年)"に掲載されています。このドイツ語の歌詞自体は作者不明なのですが、「ユダヤ闘争歌」の副題の通り、ユダヤ人の間で歌われた別バージョンが存在しています。

"Af Leb'n un Toit a Farband"

"Bruder wir stehen geschlossen"の原曲が、イディッシュ語の闘争歌"Af Leb'n un Toit a Farband"です。

Af Leb'n un Toit a Farband

O Lieber, wir hob'n geschloss'n
af Leb'n un Toit a farband
Wir steien in Schlacht wie Genoss'n
Die Fone die roite in Hand

Es trefft dich a koil main Getraier
a koil fun dem Soine dem Hund
Dan zieh ich dich arois bald fun Faier
un eil dir mit Kusch'n dain Wund

Un bis du gefal'n a Toiter
Die Oig'n mit Liebe farmacht
Dan wik'l ich dich in der Fone die roite
Un fal mit dir zusammen in Schlacht!

歌詞の内容は先述のドイツ語歌詞とほとんど同じであるようです。この歌詞の作者はChaim Aleksandrov M. Sorerivesのペンネームで活動したKhayim Miller(1869-1909)という人物であり、この曲は1905年ごろにはすでにポピュラーだったといいます。この曲がドイツ語に訳されたのは1920年代で、のちにスペイン内戦の際にスペインにももたらされ、国際旅団でも歌われていることが、歌集"Lieder der Internationalen Brigaden"(1938年)からわかっています。メロディは、ロシアの民謡から取られているとされています

Oh, querido mio, hemos hecho un trato
de vida y de muerte.
En la lucha estamos como camaradas,
la roja bandera en la mano.

Fiel companero, te alcanza una bala,
una bala de esos hijos de perra.
Te alejo entonces del fuego
y curo con besos tu herida.

Y has muerto, y cerrando
tus ojos con amor,
te envuelvo en la bandera roja,
y caigo contigo en la lucha.

 

歌詞の比較

"Bruder wir stehen geschlossen"と「同志よ固く結べ」の歌詞を比較すると、酷似している部分もあることに気づきます。
まず、「同志よ固く~」のヴァースにあたる表現が、Bruderの第一中に見出せます。「同志よ固く結べ 生死を共にせん」の歌いだしはそっくりそのままといってもいいでしょう。また、「固き敵の~」にあたる部分や「深紅の旗を前に 戦い進まん」のフレーズは、第一ヴァースと第三ヴァースから取られたように見えます。「われらは若き兵士 プロレタリアの」にあたる部分は原曲にはありませんが、「プロレタリア闘争歌」の題から初発されたのでしょう。「朝焼けの空~」にあたる部分は原曲にはありません。

こうしてみてみると、「同志よ固く結べ」の歌詞は必ずしも飯淵による完全創作ではないことがわかります。むしろ「インターナショナル」のように、原文を生かしつつ、大きく歌詞を補いながら日本語にローカライズしたという感があります。

旋律について

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Ernst Busch "Internationale Arbeiterlieder" 1949

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Manuel Requena Gallego "Canciones de las Brigadas Internacionales"Editorial Renacimiento, 2007

drive.google.com

(150 Jahre Arbeiter- und Freiheitslieder - Vol.2, 1919 - 1928 (3-CD) Dass nichts bleibt, wie es war! CD 1収録の音源 冒頭30秒のみの引用)


これを聞くと、若干雰囲気は異なるものの、ほぼ「同志よ固く結べ」と同じ旋律であることがわかります。

ただし、"Bruder wir stehen geschlossen"に関しては、これとは異なる旋律で歌われたという話もあります。ヘルマン・シェルチェンの"Bruder, zur Sonne, zur Freiheit"(「兄弟、太陽、自由」)、日本では「憎しみのるつぼ」の旋律として用いられている曲です。「兄弟、太陽、自由」は日本でいうところの「玉杯」や「アムール」のような立ち位置だったようで、労働歌・革命歌からナチ党の宣伝歌まで幅広く用いられていたようです。
 


DGB Bundeskongress 15.05.2014 - Schlusslied: Brüder, zur Sonne, zur Freiheit

"Bruder wir stehen geschlossen"は戦後にも何度か録音されているようですが、日本で手に入れられそうにはありませんので、本当に「憎しみのるつぼ」と同じ旋律で歌われたのか定かではありません